※出血など生々しい表現がありますので、苦手な方は別記事へ (..)_
仕事の責任感と妊活への葛藤
先輩が産休に入ることになり、私はその業務を引き継ぎました。完璧主義でとても厳しい先輩だったため、妊娠を知った瞬間から半年間、精神的に大きなプレッシャーを感じていました。
「今、私が妊娠したら仕事が回らなくなる。だから妊娠してはいけない」——そう思い込んでいたのです。
厳しすぎる先輩からのプレッシャー
先輩からは、
- 「ワタシが産休中はあなたがこなしてくれないと困る」
- 「ミスが多すぎて任せられない」
- 「あなたが休んだらあかんねんで」
と、繰り返し言われました。そのたびに心が削られ、
「私だって妊娠したかったのに…」 「あなたのせいで諦めなきゃいけないの?」
そんな気持ちが渦巻き、嫉妬や怒り、自己否定感に支配され、涙が止まらない日々が続きました。
先輩の産休後、訪れた解放感と妊活の再開
先輩が産休に入り、厳しい言葉を浴びることもなくなってからは、驚くほどストレスが減りました。「お前は仕事ができない」というレッテルが重くのしかかっていたものの、実際にやってみると業務はしっかり回ることに気づきました。
そして、心が軽くなった私は「今なら妊娠しても大丈夫」と、妊活に本格的にチャレンジしてみようと決意。
自然妊活を再開、体に起きた変化
病院に通うわけではなく、基礎体温とタイミング法のみで妊活を再開。その月、お腹にずっとチクチクとした違和感が続き、「もしかして…」と強く期待するようになりました。
基礎体温は高温期を保ち、生理予定日になっても下がらず。気分の変化もあり、フライングだとわかっていながら妊娠検査薬を使用しました。
結果は、陽性。
陽性反応と喜びの瞬間
予想外の陽性に動揺しながらも、帰宅後すぐに夫に報告。「子供、できたと思います」と伝えると、
「ホンマに?やったな!」
と喜んでくれて、二人で幸せを噛み締めました。出産予定日、性別の話、子どもたちが兄・姉になること…未来の話があふれ、笑顔が絶えない夜になりました。
希望から一転、体温の低下と出血
それから2日後、朝の基礎体温が急に下がり、不安を感じました。夜には少量の出血。ネットで調べると「妊娠初期の出血は珍しくない」との情報に安心し、夫にも「大丈夫、大丈夫」と伝えました。
しかし翌朝も出血が続き、昼には通常の生理と同じ量に。これはおかしい、と感じ始め、
「陽性は間違いだったのか?」 「これは生理?それとも…?」
と頭が混乱しました。
初めて知った”化学流産”という言葉
帰宅後、調べていて知ったのが「化学流産」という言葉。妊娠検査薬では陽性が出たが、胎嚢が確認できない、つまり着床が成立しなかった状態とのこと。
自分の状況は、これにぴったり当てはまるものでした。
病院での診断と心の穴
次の日、仕事を休んで病院を受診。結果はやはり「化学流産でしょう」とのこと。
覚悟はしていたけれど、それでも胸の奥が空っぽになるような感覚でした。たった数日間のことかもしれないけれど、
- お腹を冷やさないように
- 赤ちゃんがいるかもしれないと優しく過ごした日々
それらすべてが”なかったこと”になる現実は、思った以上に重かったです。
夫と「また来てくれるよ」と励まし合い、前を向こうと話しました。
妊娠・出産は奇跡の積み重ね
化学流産は珍しいことではなく、検査をしなければ気づかず生理として終わることも多いといいます。それでも、知ってしまった以上、心が追いつかないのが現実でした。
妊娠・出産は当たり前のようでいて、本当に奇跡の連続なのだと、身をもって実感しました。
来月、私は36歳。これからを考える
当初タイムリミットと考えていた12月になり、こんな出来事が起きた今、どうすればいいのかまだ答えは出ていません。
来月、私は36歳。
それでも、前を向けるように、心を少しずつ整えていこうと思っています。
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